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noteの「音ゲーは上手くなることが全て」を読んで思ったこと

2020 4/24
noteの「音ゲーは上手くなることが全て」を読んで思ったこと

2020/04/04、noteと呼ばれるウェブサービスに「音ゲーは上手くなることが全て」という記事が投稿された。

内容は、「音ゲーは上手くなることが全てである、それ以外には魅力がないから」というもの。

しかし、わたしはそうは思わない。

音ゲーには上手くなること以外にもたくさん、面白い部分や魅力が詰まっている。

例のnoteは結構読まれているらしく、あれを読んで「音ゲーって面白くなさそうだな」とか思ったり「音ゲー(マー)を避ける」ような人が増えるのが嫌だったので、今回この記事を書いている。

「音ゲーは上手くなることが全て」はこちらhttps://note.com/gin_yah/n/n800be5556ea9

目次

例のnoteを読んでわたしが思うこと

note内で筆者は以下のように述べている。

音ゲーは、お前が上手いか下手かを問うゲームである。
だから、フェアである。
だから、面白い。

そして、それしか面白くない。

冒頭でも述べたが、わたしはそうは思わない。

もちろん、noteの筆者が言うように、実力を自分や他者とストイックに競うことができる要素は、音ゲーの大きな魅力だろう。というか、一番面白いのはそこだとさえ思う。

今までは手も足も出なかったような曲をクリアできた、ハイスコアを更新できたというような自分の成長を感じるような瞬間は最高の気分である。

それがたまらなく快感で音ゲーにのめり込んでいる、わたしはそういう人間だ。


でも、音ゲーの面白い部分、魅力は他にもたくさんあるはずである。

その1つは、素敵な楽曲に出会えることだ。

音ゲーをプレイしたことのある人なら誰だって、記憶に残っている楽曲や、今でも時々聞き返してしまうような楽曲に出会ったことがあるだろう。

noteの筆者は音ゲーの楽曲を楽しめていない

だが、音ゲーの楽曲が、音楽として、優れているのか?
もし楽曲単体でそれが音楽的に優れているのあれば、もうゲームである必要はない。
イヤホンを取り出し、聴けばいい。ゲームが介在する必要性がない。

その上、音楽を享受する上で、音ゲーよりも優れたプラットフォームはいくらでもある。
音楽を聴きたいのなら、CDを買い、オーディオ機器を通して聴けばいい。
最近はSpotifyやApple Musicなどのサブスクリプション型サービスによって、より多くの楽曲に手軽に触れられるようになった。
(プラットフォーマーの利益独占だとか業界の持続性がどうとか議論はあるが、消費者目線でみればメリットの方が大きいのは明白である。)
オーディオ機器も安くて高性能なものが増えたし、無線機器の品質も向上している。

筆者のこの考えは「音ゲーの楽曲は音楽的に優れていない」と言っているのと同じで、多くの作曲者と、音楽ゲームを制作している人たちに対する侮辱だ。

優れた音楽はゲームではなくCDだとかAppleMusicなどのサブスクリプション型サービスで提供されている・されるべきだ、というような考えが伝わってくるが、なぜゲームの音楽は優れていないといえるのか。

その楽曲が登場したのがゲームなのかCDなのか、その媒体は楽曲の魅力には影響しない。

ゲームだろうがCDだろうが、いい曲はいいし、いまいちな曲はいまいちだ。


それから、「音楽を享受する上で、音ゲーよりも優れたプラットフォームはいくらでもある」と述べているが、これは音ゲーの魅力を語るのには的外れである。

多くのプレイヤーは「ゲーム」をやるために音ゲーをプレイしているのであって、音楽を享受しよう・楽しもうというのは二の次だからだ。

音ゲーをプレイする過程で素敵な楽曲に出会ったりするのが音ゲーの面白い要素の1つではあるが、わたしは「音楽を聞きたいから音ゲーやろ」とはならない。

音楽を聴いて楽しむことが目的なら、音ゲープレイヤーであってもそうでなくてもyoutubeで検索したりCDを買ったりするだろう。


また、この筆者は音ゲーの楽曲には制約があり、その一つに「尺」があると述べている。

音ゲー曲の尺はだいたい1分30秒〜2分30秒くらいであり、人間の集中力が持続する時間に合わせている、ということらしい。

その尺に合わせて楽曲を作ろうとすると、当然かなり短い時間で曲を終わらせなければならない。

すると、表現の幅はかなり狭くなってしまう。

具体的に言うと、2分の曲を作ろうとしたら大体イントロ→Aメロ→Bメロ→サビときたらもうアウトロに入って曲を終わらせないと収まらない。

短い。2番と間奏とCメロとサビもう一回お代わりくらいは欲しい。

もし尺がいくら短くても音楽的魅力が損なわれないなら音ゲーのサントラに毎回人気曲のロングバージョンが収録されるわけがない。

ロングバージョンのほうが音楽的魅力があるという意見が、私には意味が分からない。

自分好みの尺の楽曲がサントラに収録されるせいで、ゲームよりCDで聞いたほうがいいと思っているだけではないか。

こんな風に、自分の好き嫌いで「音ゲーの楽曲は優れていない」と批判するのはいかがなものか。

サントラにロングバージョンや別Verの楽曲が収録されるのは、単にファンが喜ぶからとか、既存曲以外にもCDに収録することがスパイスになって売り上げが伸びやすい、とかが理由だとわたしは思っている(業界の人間じゃないので正確なことはわからない)。

少なくとも、わたしは再生時間で曲の良し悪しを判断したことがないため、ロングバージョンのほうが音楽的魅力があるというのは意味不明だ。

「再生時間が長いほうが表現の幅が広い、だから魅力的だ」と言いたいのかもしれないが、長ければいいものでもないだろう。

曲が短かろうが長かろうが、作曲者の実力次第で良くも悪くもなる。

つまるところ、この筆者は音ゲー特有の尺やギミックの制限に合わせて作られた楽曲が好みじゃない、ということだろう。

それで、作曲者や音ゲー製作者に対するリスペクトを一切持たず、己の好き嫌いで「音ゲーの楽曲は優れていない」などと言っているのだ。

これは無神経極まりない発言で、多くのクリエイターに対して失礼だ。

せめて「音ゲーの楽曲は好きじゃない」と言えばよかった。

「2番と間奏とCメロとサビもう一回」が加わった尺の長い楽曲が音ゲーにたくさんあれば、この筆者も音ゲーの楽曲を素晴らしいものだと評価していたはずである。

音ゲーはゲーム

音楽を通した一体感、体験が欲しいのなら、ライブやクラブイベントに行けばいい。
ゲームの筐体から流れる音よりもはるかに迫力があり、はるかに華やかな体験を、より多くの人と一体となって共有することができるだろう。
ゲームによって模倣されたものではない、本物の体験ができる。

ゲームである必要性がない。

ライブやクラブイベントは、自分や他者とハイスコアを競い合うようなゲームではない。

つまり、音ゲーとライブ・クラブはまったくの別物。

目的が違うのに比較するのはナンセンスだ。

ゲームしたいなら音ゲーやればいいし、本格的に音楽を楽しみたいならライブに行けばいい。

ライブ・クラブがあるから音ゲーは必要ない、というようなことにはならない。

演奏感が欲しいのなら、文字通り楽器を演奏すればいい。
正確さや作り手の意図に縛られることなく、より広く、より柔軟に表現力を発揮することができるだろう。
自分たちの好きなようにアレンジしたり、表現することを「ヘタクソである」とかレッテル貼ってくるクソみたいな機械はいない。

ゲームである必要性がない。

音ゲーと楽器演奏も目的が違う。

そもそも、音ゲーではプレイヤー側に「アレンジする」だとか「表現する」という余地はほぼない。

音ゲーは「いかにタイミングよくボタンを押すか・タップするか」という「ゲーム」なのであって、遊び方を逸脱してアレンジだとか表現だとかやっていれば「ヘタクソ」となるのは当たり前だ。

表現力を発揮したい人は音ゲーじゃなくて楽器やればいいし、ゲームやりたい人は音ゲーやればいい。

音ゲーやるなら楽器演奏すればいいじゃんという意見を時々見かけるが、音ゲーはゲームで楽器は少なくともゲームではないので、別物である。

ここら辺は別の記事で扱いたいと思う。

音ゲーには多くの魅力があるって知ってほしい

要約すると、「音ゲー」の「音」はあんまり面白くないし、「ゲー」部分は上手いかどうかに関する機械的な単純評価に依存している。

だから音ゲーには上手くなることしか魅力がない。

この人は、上手くなること以外に音ゲーに魅力を見つけることができなかっただけ。

「真剣に音ゲーをやってきていたんだろうけど、上達できなくて自分が嫌いになった」という印象を受ける。

noteの筆者と同じく、上手くなること・上達を目指すことは音ゲーをプレイする上で最も面白い要素であるとわたしも思っている。

でも、音ゲーには上手くなること以外にも面白い部分、魅力がたくさんあるということを、私はみんなに知ってほしい。

先ほど述べた「魅力的な楽曲に出会える」というのは、それのほんの一部だ。

noteの筆者は「心を動かし、人と語り合いたくなるようなストーリーなんてない。」と述べているが、ゲームによってはそのようなストーリーが用意されていたりする。

代表例をだすとDeemoだ。

プレイしたことがある人ならわかるが、Deemoのラストは涙なしには見ることができないような感動的なものになっている。

また、各楽曲に用意されているアートワーク(ジャケット画像)や、ゲームに登場するキャラクターをはじめ、様々なイラストもわたしの目を楽しませてくれる。

毎年エイプリルフールになると、この日だけプレイできる特別な譜面を用意してくれるゲームも少なくない。

この特別な譜面は、頭がおかしいくらい難しかったり、特殊なギミックが仕掛けられていたりと、見ているだけでも楽しめるようなものがある。

こういったサプライズ的イベントだってわたしはすごく魅力的だと思うし毎年楽しみだ。

上達を目指す以外でも音ゲーを楽しめる要素はたくさんある。

ゲームだからいい

noteの筆者は、「ゲームが介在する必要性がない」とか「ゲームである必要性がない」と繰り返し述べている。

しかし、ライブやクラブ・CDやサブスクリプションサービスは、音ゲーの代替にはならない。


それに、ゲームだからこその魅力だってある。

1つ上げるとすると、それは手軽さだ。とっつきやすさと言ってもいい。

まず、音楽に興味のない人はCDを買ったり、サブスクリプションサービスに加入したりはしない。

少なくとも、音ゲーを始める以前の私は、それまでCDなんてほとんど買わなかったし、音楽に対しては疎遠な時期が非常に長かった。

それでも今はゲームがきっかけとなり、多くの素敵な楽曲に出会えた。

音楽っていいなって思えるようになった。

音楽に興味がなかった人でも、「ゲーム」という入り口から音楽に出会う人は少なくないと思う。


また、興味の広がりは音楽だけではない。

音ゲーがきっかけでDTMを初めて作曲家になったというような人物をわたしは知っているし、中にはボーカルをやりたいとか、こんな絵を描けるようになりたいとか、音楽以外にも興味が派生している例はたくさんあるだろう。

音ゲーから初めて、音楽・DTM・楽器・歌・イラスト・ゲーム制作・ダンス・動画撮影・ライブ、興味が広がっていく方向は多種多様で様々だ。

興味が広がっていく入り口として、音ゲーは優秀だとわたしは思っている。


音ゲーに限らず何かに触れれば、そこから派生して様々に興味が広がっていくことは少なくない。

だが音ゲーの魅力はゲームである点だ。ゲームはとっつきやすい。

ゲームだからこその魅力だってあるのだ。

クリエイターをリスペクトする気持ちが必要

noteを読んで一番感じたことが、クリエイターに対するリスペクトが一切ないということだ。

「音ゲーは上手くなることが全てである、それ以外には魅力がないから」なんて失礼なことをよく書けたなと驚く。

音ゲー(音ゲーだけじゃなく世の中のあらゆるものは)、めちゃくちゃたくさんの人が動いて生み出されているということをもっと意識するべきだ。

様々な人がたくさんの人と話し合いながら、どうすればプレイする人を楽しませることができるのか、私たちが想像できないくらい考えに考えているはずである。

Deemoのように、メインとなる音ゲー以外の部分にも力をいれていて、プレイヤーを楽しませようと頑張っている制作チームも存在するのだ。

作曲者だって魅力的な曲を作ろうと頑張っているだろうし、譜面製作者だってプレイヤーを飽きさせないように苦労しているだろう。

そんな人たちに対して、「魅力がないですね」なんて、たとえ面白くなかったとしてもわたしは言えない。

自分たちが楽しませてもらっている作品を作り出しているクリエイターの人たちにも目を向けられるような、視野の広いプレイヤーが増えてほしいと切実に願っている。

最後に

「音ゲーは上手くなることが全て」は間違っている。

しかし、上手くなることを目指すのはとても大事だ

なぜならそれが音ゲーの一番面白い部分だから。

成長を感じれる瞬間が音ゲーやってて一番楽しい瞬間だから。

ただし、上手くなることを目指すのは音ゲーの全てではなく一部だ。

他にもあるよ、楽しい部分、面白い部分。

少なくとも私はそれを知ってる。

そこに気づいていける、楽しむことができる音ゲープレイヤーにわたしはなりたいよ。

この記事を書いた人

管理人: Eiter(アイテル)。
ゲーム実況をしながらブログ運営をしている音ゲーマー

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